CG 


 『近自然』を形にすると…



(左)現状      中:近自然化途上     右:近自然化後

  
[札幌駅 南口前広場 2008年] 気持良い都市空間にはグリーンが欠かせないのでは?

  
[佐渡市 佐和田商店街 2008年] シャッター街の活性化は…まずクルマを締め出すこと

  
[長野県 佐久市 国道141号線 2008年] 視覚的ノイズを減らし、安全で運転が気持良い道を

  
[北海道 弟子屈 釧路川 2009年] 安全でエコロジカルでカヌー下りが楽しい川を実現させる

  
[佐渡市 長谷川 2008年] 水利用と魚の遡上や気持良さを両立させると…

  
[北海道 せたな 須築川 砂防堰堤 2011年] 土石流に対する安全性とサクラマス遡上の両立は可能だ

  
[スイス チューリッヒ市 ホルンバッハ川 2010年] 水辺を活かして都市空間のクォリティー・アップを


paradigm 

本当に怖いのは『温暖化』ではなく『寒冷化』
『温暖化対策』と『寒冷化対策』を同時に!
CO2削減の真の意味は『脱・石油依存』



<現在の地球は‥‥氷河期のまっただ中>


有孔虫(微化石)中の酸素同位体比(16Oと18Oの割合)によって過去の気候を復元できる
過去5億年間、約1.5億年の周期で氷河期が存在:今は氷河期のまっただ中で非常に寒冷な時期
5億年間に5回の『大絶滅』と5回の『中絶滅』があった(今は6回目の『中絶滅』か?)
『大絶滅・中絶滅』はいずれも急激な寒冷化の時期に起こった(4.1億年前の『中絶滅』だけは例外)
以上から、大量絶滅は寒冷化によって起こりやすいと断定できそう

・約5億年前から、少なくとも4回の気候変動の大波(温暖期と寒冷期)があり、寒暖差は20℃を越える
・今は、約8000万年前からの急激な寒冷化が進行中
・同時に、約5000万年前から始まった『氷河期』のまっただ中(今回の氷河期は長く続きそう)
・多くの生き物が暖かい赤道付近に集中しているのは、典型的な寒冷期の現象
・急激な寒冷化には必ず大規模な生き物の絶滅がともなう
・史上最大の絶滅は2億6000万年前の急激な寒冷化の際で、種の90%が姿を消したらしい
・約6500万年前には恐竜を含む大規模絶滅があった(最後には大隕石の衝突もあったようだが‥‥)

<氷河期には非常に寒い「氷期」と比較的暖かい「間氷期」が交互に来る>


異なるデータを時間軸を変えてつなげてみると‥‥今が氷河期の中の比較的暖かい『間氷期』であることがよく分かる
人類(ホモ・サピエンス)は今回の氷河期の誕生だが、今より4℃ほど高く8℃ほど低い気温を経験している



寒冷化(氷期)は長くゆっくり進行し、温暖化(間氷期)は短く急激
現在は比較的暖かな間氷期のピークを過ぎて、気温が下降に向かったところ
気温が変動すると、少し遅れてCO2濃度が追従し、さらに遅れて海水準が上下する
近年CO2濃度は異常に急上昇し続けているが、気温の上昇は自然の変動範囲内

・氷河期では、寒い氷期と比較的暖かい間氷期が約10万年周期で繰り返す
・気温は急激に上がりゆっくりと下がる:今は急激に立ち上がる時期の直後
・約10万年間続いた寒冷化傾向が、約1万8千年前から急上昇(間氷期の温暖化)
・約1万年前にピークに達し、その後ゆっくりと下降(氷期へ向かう寒冷化)へ転じた
・ただし、気温は単純に落ちるのではなく、2〜3℃程度の上下を繰り返しながらゆっくりと低下していく

<気温の上下とCO2の増減は似ているが‥‥>
・気温とCO2はほぼ一緒に上下しているが全く一致しているわけではない
・気温が先かCO2が先かは微妙:つまり両方の例があるが「気温が先」の方が多い
・特に間氷期へ向かう寒冷化の時期は、気温が先に落ちるのが普通
・今回の波では気温上昇がCO2増加に約1万年ほど先行
・その1万年間は、気温が上昇に転じても、CO2は下がり続けた

<人類が排出するCO2は全量の3.3%>
・CO2は大気中にわずか0.04%程度しか存在しない(乾燥大気中の体積比:水蒸気は1〜4%)
・CO2の発生源は、火山活動、海洋、動植物、メタンの分解、そして今問題になってる人類の活動など
・反対にCO2の吸収源は、植物(光合成)、海洋、メタン菌(CO2からメタンを作る)など
・今、CO2濃度が急激に高まっているのは、発生量が吸収量より多いから
・CO2の自然界の発生源を含めた総量は年間約210ギガトン
・人類の排出するCO2は年間7ギガトン程度で、総量の3.3%にすぎない
(逆に言うと、人類がCO2排出量をゼロにしても、全体の3.3%しか減らない!)
・そんな人間の排出するCO2を温暖化の主因とするのはかなり無理があるのでは?
(石油と地下資源を大量消費し使い捨てする現代の物質文明への批判の意味はあるが、それと温暖化とは別問題)

<本来、CO2濃度の変化は気温変動の結果>
・人類の誕生する前の太古の時代、CO2の変化は気温変動の結果であったことに疑問を挟む専門家はいない
・その因果関係(原因と結果)を産業革命以後より逆転させるのは非科学的で少々強引過ぎるのではないか
・そもそも、大気中CO2濃度の増加から気温上昇の警告を発したのはハワイ島マウナロア観測所の気象学研究者であるC.D.キーリング博士だ(1963年)
・彼はその後のさらなる測定の結果、1989年の「Nature誌」などの論文で、『気温変動がCO2濃度の変化より数ヵ月から1年ほど先行する』という事実を報告し、むしろ気温が原因でCO2濃度がその結果であろうと述べた
・しかしこの間に世界の気象学者たちの間で、『人間の排出するCO2のせいで地球温暖化が起こっている』というストーリーができ上がってしまったため、その仮説に対して不都合なキーリングの論文は事実上無視されてしまった



<気温に最も影響するのは「雲の量」>
・気温を決めるのは、CO2の他にも、水蒸気、雲、メタン、フロン類、太陽活動、宇宙線、超新星爆発、地磁気変動、地軸変動、地球軌道の変動、マグマ対流、火山活動、エアロゾル(マイクロダスト:煤煙、煤塵、火山灰、粉塵など)、海水循環、氷山崩壊などなど多くの要因が知られている(もちろん要因間にも複雑な連関がある)
・そもそも気温への影響は(温暖化物質としても)、CO2よりもH2O(水蒸気・雲)の方がずっと重要
(水蒸気は熱を溜め込む温室効果ガスとして、雲は日中は日射を遮るので地表の気温を下げ、夜は逆に保温効果がある。また、水は蒸発の際に気化熱を奪って温度を下げる。)
・にもかかわらず、温暖化の議論でH2Oの話題が出ないのは、そのメカニズムがあまりに複雑で研究テーマにならなりにくいから(全世界の雲の状態や振る舞いを一瞬にして把握することはできない)
・気温を決める要因の中でも『雲の量』が最も直接的で効果が大きい
・常に地球の約半分が雲に覆われているが、その雲の面積が1%減ると気温が約1℃(正確には0.6℃)上がり、反対に、雲の面積が1%増えると日射が遮られて気温が約1℃下がる
・では雲の量は何で決るのか‥‥?
・雲の発生は大気中の水蒸気と宇宙線(宇宙からやって来る高エネルギー線)の量に左右されるという、デンマーク太陽気候センター所長 H.スベンスマークの仮説がある
・また太陽活動と気候の密接な相関関係については、デンマーク国立宇宙センター所長 E.クリステンセンなど、いくつかの研究報告がある


過去400年間の気温(赤)と太陽活動(黄)の変化には強い相関関係がある

・太陽活動が活発になると強い太陽風が宇宙線を吹き飛ばして雲ができにくくなるため気温が上がる
・太陽活動が不活発になると、逆の理由で気温が下がる
・ただし、相関関係(一緒に上下する)と因果関係(原因と結果)は同義ではないことはCO2の場合と同じ

<CO2排出量を減らしても地球の気温にたいして影響しない!?>
・どうやら、CO2の排出量を減らしても気温は下がらない可能性が大きい!
・または、下がるとしても数千年から1万年後かもしれない
・さらには、気温の下がった原因がCO2削減の結果だったのかどうかは分からない
・太陽活動の沈静化時期なので、それにより寒冷化するという予測もある
・そもそも自然のサイクルとして、今は氷期の寒冷化に向かっているので、そのせいかもしれない

<CO2は生物(人類も)にとっての貴重な資源>
・いつから我々はCO2を毒ガスのように考えるようになったのか
・CO2は動植物にとってかけがえのない資源:動植物や我々の身体はCO2から作られる有機物だ
・植物の生育に依存する農業にとってもCO2は欠かすことのできない資源

<『温暖化CO2犯人説』は政治・経済の問題か>
・どうやら『温暖化CO2犯人説』は科学的テーマというより、政治的・経済的問題のように思える
(政治的・経済的な環境ヒステリー‥‥などと書くと、環境原理主義者たちからバッシングを受けそう)
・地球温暖化の責任を人類が排出するCO2に押し付けたのは、IPCCの勇み足であり、それが世界の常識となってしまったのは、IPCCの主張をセンセーショナルに報道する全世界のマスコミと環境保護団体、それを政治に利用している政治家たち、さらには温暖化をCO2排出権取引というお金儲けに利用した経済界の責任か
(IPCCの裏には核エネルギーや経済的利権、さらには政治の影が色濃いため、元々科学者たちの集まりではあるが、むしろ政治団体だとヨーロッパでは言われる。さらに科学的公平性を疑わざるを得ないようなスキャンダルが次々と明らかになっている。しかし、ここではそれらについては問わない。筆者自身も、世界中の2500人もの権威ある研究者たちが集うIPCCの主張を長く信じてきた。しかし、どう見てもおかしな『温暖化CO2犯人説』を実証データを示さずに「疑いの余地がない」と声高に断定し続ける姿勢には胡散臭さを感じざるを得ない‥‥というのが正直な気持ちだ。)


結論:
地球の温暖化・寒冷化のメカニズムやその因果関係は複雑怪奇で、我々にとってそれらをを解明することが主目的ではない。全世界の人類が持続的に豊かに健康に幸せに生きられることこそが最も重要。そのためにどうしても必要なことだけを考え議論したい。その他のことは専門家に任せよう。
もし本当に自然現象以上の温暖化が存在し、それが我々にとって憂慮すべき大問題であり、さらにその主因が人類が排出するCO2であるなら、それを削減する努力を大きな犠牲を払ってもすべきだが‥‥

<温暖化は存在するのか?>:存在する・・・が自然現象の範囲内
事実を冷静に眺めて見ると‥‥
スイスの氷河が融け続けていることなどから、今が温暖期であることは事実だろう。


スイスにあるヨーロッパ最大の大アレッチュ氷河(90年後に同じ場所から撮影)
その縮小は明確で35年後(2035年)には完全消滅と警告されていたが、先頃350年後(2350年)に訂正された

また色々な測定結果は20世紀初頭からの温暖化を裏付けている。しかも140年間で0.7℃あまりも上昇したと言われている。もしこんな温暖化が数万年も続くなら大変なことだが‥‥



過去130年間の気温(赤:全地球の5年平均値)は明らかな温暖化傾向だが、21世紀に入って横ばい
特に北半球(陸地の70%、人口の90%が集中している)での気温上昇が著しい
都市部の「ヒートアイランド現象」を回避したデータでは、21世紀に入ってむしろ下降傾向


海水準は現在上昇傾向で、1985年からの海面上昇は約8cm
ただし、海水準の1950年のピークは今より高く、今の上昇傾向は60〜80年周期の繰り返しなのかも?


台風の年間発生数は1965年頃をピークに減少傾向(1995年以後は明確な減少傾向)
日本本土に上陸した超大型台風は1961年以前に集中している(1993年13号は例外)
黄色の数字は中心気圧の低い順

気温、海水準、太陽活動などの変動は似たような波状の周期を持つが、CO2だけが異常に上昇し続ける
太陽活動(黄)の変動は気温の上下と似ているが、1990年以降は少しズレる

<今の温暖化は大問題か?>:寒冷化の方がもっと怖い
現在の一時的な温暖化は確かなようだが、気温の上昇は過去の自然現象の変動範囲内だ。グリーンランドの氷床コアの測定では、6000年前(日本では縄文時代、西洋ではエジプト文明期)は今より2.5℃ほど、1000年前(ヨーロッパでは中世、日本では飛鳥から平安時代)は今より1℃以上も暖かかった。


今の気温と比較すると、6000年前は今より2.5℃ほど、4000年前は2℃ほど暖かかった
下がり続けた気温は紀元0年を底に再び上昇し、西暦1000年頃(中世)がピークで今より1℃以上暖かかった
その後も小さな上下を繰り返し、今は小さな温暖期のピークを過ぎて寒冷化してる所
縄文時代、飛鳥/奈良/平安時代は温暖期、弥生時代や室町から江戸時代は寒冷期にあたる
西洋ではエジプト、ローマ、ゲルマン初期は温暖期、ギリシャは寒冷期
2回の温暖期には世界的に海水準の高い縄文海進と平安海進があった
ヨーロッパや日本でのペストの大流行、英国やロシア/ポーランドでのマラリアの大流行は寒冷期に当たる

中世ヨーロッパの後半(8〜13世紀頃)は今より気温が高かったことが分かっている。現在、国土の80%が3000m以下の氷床に覆われているグリーンランドは、当時、広く緑に覆われていて、バイキングたちが入植していた(その後の寒冷化で全滅)。英国南部では穀物の二毛作ができた。また英国南部ではブドウ園が広がり、たくさんのワインを生産していた(現在は不可能)。反対に15〜19世紀は大変寒く、冬場はチューリッヒ湖やボーデン湖(琵琶湖ほどの面積)なども毎年のように全面凍結して、馬車などでの湖上輸送ができた。
日本でも平安時代は今よりずっと暖かで、東北地方に冷害が少なかった。逆に、江戸時代は冷害と飢饉が頻発した‥‥などなど。
寒冷期は人類にとって厳しい試練の時だ。

過去の文献などから当時の英国の気温を推定できる
グリーンランドの氷床コアの測定から復元した気温にも中世の温暖期が明確に現れている
年輪中の炭素同位体による測定では中世より今の方が暖かいことを示しているが、多くの歴史的事実と合わない

今は氷河期のまっただ中であり、しかも長い目で見て気温はかなり急激に下がりつつある。つまり地球の歴史の中で、かなり寒冷な時期に我々は生きているのだ。その氷河期の中でも、今までは比較的暖かな時期(間氷期)が1万年以上も続いていたが、次の寒冷な時期(氷期)が始まろうとしている。

今のような元々寒冷な時期での温暖化は、我々人類をはじめ多くの生き物たちにとって大きな驚異とはなり得ない。むしろ、つかの間の息抜きの時とも言える。過去100年間あまりの温暖化がさらに数万年以上も続くなら、それは憂慮すべきことかもしれないが、短期の寒暖の波がそんなに長続きするとは思えない。少なくとも、慌てずにもう少し様子を見る方が賢明だろう。その時間的余裕はある。

それよりも、元々寒冷な時期でのさらなる寒冷化の方がよほど怖い。特に食料危機が懸念される。
CO2の急上昇からはさらに温暖化すると言われ、太陽活動の沈静化からは寒冷化が予想されるが、実際はどうなるのか?

<それなら、CO2をどんどん排出して良いのか?>:ダメ!
温暖化が自然現象の公算が大きく、むしろ寒冷化の方が怖いからといってCO2削減が無意味なのではない。
  *世界では有限な化石資源・燃料の温存
  *日本では資源とエネルギーの極端な海外依存からの脱却(安全保障)
  *世界的な大気汚染(SOX、NOX、OX、ダイオキシン類、PM2.5など)の軽減
  *温暖化のリスクはゼロではないので、温暖化物質をできるだけ出さないにこしたことはない
   (最大でもたった3.3%にしかならないが‥‥)
などの意味からとても重要だ。もちろんメタンやフロン類(フレオン)なども同様。

<我々はどうすれば良いのか?>:30%の温暖化対策と70%の寒冷化対策を
リスクの大きさを考えると、わずかな温暖化より、むしろ、本格的な寒冷化の方がずっと怖い。それは、 寒冷化による飢饉や疫病や乾燥化(砂漠化)などのリスクの方が温暖化によるリスクよりも人類(特に日本人)にとってケタ違いに大きいからだ。
寒冷期に特有の疫病の蔓延は現代の医療や衛生で抑えることができるかもしれない。しかし、降水量減少による砂漠化と食料不足はさらに深刻化し、世界中で餓死者が急増するのは避けられないだろう。特に、食料の60%を海外に依存している日本のような国は、その打撃を真っ先に受けることになる。先進諸国が食料自給率を必死に上げようとしているのは、そういう意味があるのだ。
我々が豊かに健康に幸せに生き延びるためのリスク・マネージメントでは『対策より予防』が得策だ(後述)。また、二者択一(対立)ではなく一石二鳥(両立)を実現したい。そこで、我々のパワー(経済力、技術力、労働力、時間など)の30%を温暖化対策に、70%を寒冷化対策に向けると良いだろう(または、せいぜい50%/50%)。
具体的には、『脱・石油依存』と『脱・食料依存』だ。

<温暖化対策と寒冷化対策を同時にできないか?>:できる!
温暖化対策は石油の使用量を抑え、結果として海外依存から脱すること。寒冷化対策は食料政策を見直し、結果として海外依存から脱すること。つまり、エネルギーと食料の自立だ。できれば、「衣・食・住・水・エネルギー・資源」のできるだけの自立を目指したい。
この温暖化対策と寒冷化対策を合わせると‥‥
『農林水産業の(できるだけの)自立と石油漬けからの(できるだけの)脱却』
我々にとって、『農林水産業の自立と脱・石油』こそが危機の際に命を守ってくれる『救命ボート』だ。また同時に、温暖化と寒冷化のどちらが来ても、またそれらがそれほど急激に来なくても損をしないための保険でもある。救命ボートは事前に準備するもので、船が沈み始めてからでは手遅れ。だから今すぐに始めたい。
(実は、人類は『人口爆発』というさらに重大な課題を抱えている。これに対する対策は複雑で微妙な問題をはらむ。放置はできないが、ここでは述べない。)


クルマのEV化は良いことか?
CO2問題にからめて、最近クルマのEV化(ガソリンやディーゼル・エンジンを電気モーターに置き換える、つまり電動化)が大きくクローズアップされている。特に、中国、インド、アメリカ、イギリス、フランス、日本などが積極的だ。
確かに電気モーターは走行時に排ガスを出さない。またエネルギーの極端な石油依存からの脱却もできる。
しかしながら、そのための膨大な電気はどこから調達するのだろう? 重油による火力発電を増やしては元の木阿弥。かといって再生エネルギーは分散性なので発電効率が悪く利用し難い。
最終的には『原発』に頼らざるを得ないのではないか。
そうなると、いったい何基の原発が必要になるのか、計算してみた。
原発推進国とEV化に積極的な国が重なるのは、どうやら、偶然ではないようだ。

結果:
  

 世界中の全てのクルマをEV化すると:  原発 3,700基 
 全てのガソリン車だけをEV化すると:  原発 3,200基
 半数のガソリン車をEV化すると:    原発 1,600基
 さらにその半数分を太陽光発電すると:原発    800基

 日本中の全てのクルマをEV化すると:  原発 150基
 全てのガソリン車だけをEV化すると:  原発   55基
 半数のガソリン車をEV化すると:    原発   28基
 さらにその半数分を太陽光発電すると:原発   14基

 スイス中の全てのクルマをEV化すると:原発   7基
 全てのガソリン車だけをEV化すると:   原発   4基
 半数のガソリン車をEV化すると:     原発   2基
 さらにその半数分を太陽光発電すると: 原発   1基

 (原発は福島第一クラスの規模で計算。現時点では正確な条件設定はできないので概算。また充電バッテリーの充放電時のエネルギー・ロスも不明。さらには、膨大な量の大容量充電バッテリーの製造と廃棄の問題も大きいが、この計算には含まない。)


世界中のすべてのものが上手くいかない


・今、環境、政治、経済、教育など、社会のあらゆる分野で問題が噴出している
・今までの考え方ややり方が通用しない、従来のシステムが機能しない、優秀なはずの人材が力を発揮できない
・そしてそれは個人、企業、大学、行政、国家などを問わない
・環境問題は多くの問題のひとつにすぎない
・いったい世界中で何が起こっているのか?


その原因は『時代が変わった』こと


・時代が変るとは、我々の『価値観が変る』ことだ
・価値観とは、人生において何が大事かということ
・価値観が変わると、ライフスタイルが変わる
・ライフスタイルが変わると、ニーズ(求めるもの)が変わる
・ニーズが変わるとマーケットが変わる
・マーケットが変わると、本当はシステムが変わらなければならないのだが…


・ところが全世界で従来の古いシステムを変えることができない(どう変えたら良いのか分からない)
・時代が変わったのにシステムが変わらなければ、全世界ですべてのものが上手くいかないのは当然だろう
・日本のたて割り行政への批判が強まっているのは、その現れのひとつに過ぎない

・日本の行政には優秀な人材が多いにもかかわらず、システムとして上手く機能していない
・それは、専門家が毎日同じルーチンワークを効率良くこなすために特化したシステムだから
・そんな明治時代からの旧弊を引きずっていては、新しい時代において機能しないのは当然だろう
・価値観とニーズが変わった今、市民の多様なニーズに応えることができないから批判が高まるのだ

・それは個人でも、団体でも、行政でも、企業でも、大学でも、議会でも同じこと
・新しいニーズに応えられる体質改善ができないなら、遠からず破綻するのは自明だろう
・行政や議会なら解体を迫られ、企業なら倒産、個人なら破産か
・いずれにしても、良くないことで、なんとか避けたいではないか


新しい価値観とは?




量から質へ
・『重厚長大』から『軽薄短小』への価値観転換
・かつては量こそが決め手だった:大きく重いことは良いこと、お腹いっぱいになれば良かった
・これからは質が決め手:小さく軽くて薄く機能的なことがカッコイイし、食事は旨くなければダメ
・『重厚長大』はオス(男性)の価値観でもあり、メス(女性)はそんなものは求めない

・大きくて重い百科事典を居間に飾る時代は終わった:小さな携帯でそれ以上の情報が得られるではないか
・かつて立派・恰幅が良いと言われた大きくて重い人は、今では‥‥メタボ!
・しかし、量か質かの二者択一ではなく、量は質の一要素であり、量がどうでも良くなったわけではない

集中から分散へ
・政治、経済、エネルギー、教育など、様々な分野で…
・かつて、富や権力が一ヶ所に集中していることが良いことだった
・今や、皆がほどほどの富と権利を求める
・東京にすべての富と権力と人材を集めて、全国へ広める時代は終わった
・それでは皆が満足できないからだ

・かつて、皆と同じなのが美徳で、皆が同じ物を欲しがった
・その時代は終わり、今は個性が尊重され、皆と同じ物では満足できなくなった
・大量生産の携帯電話に個性的なシールを貼ったりストラップを下げるのはその現れ
・ユニフォーム(制服)の時代は終わった:いつまでスーツ&ネクタイの制服をつづけているのか?
 (軍隊の戦闘服のように、本来ユニフォームには機能を極限まで突き詰めた意味があったはず)

・個人個人がそれぞれ独自の考えと欲求を持ち、独自の人生を歩みたいと思うようになった
・今、大衆が消滅しつつある:人々を大衆という表現でひとくくりにできなくなったという意味
・そんなニーズに政府や行政や学校や企業が応えることができているのか?

所有(ホールディング)から利用(シェアリング)へ
・かつて、我々はクルマや家などを所有することに無上の喜びをおぼえた
・これからは利用できれば良い(つまり、シェアリング)
・カー・シェアリング、ワーク・シェアリング、ビデオやCD賃貸、など

オスの価値観からメスのそれへ
・オス(男性)は『重厚長大』や『強さ、速さ、高さ、広さ、数量』など量が好きだ
・しかもそれを誇り、比較し競争する傾向がある
・競争、闘争、勝負、対決、戦争、侵略、支配、賭け、意思、集中、勢力、権力、権威、専門、学歴‥‥
  などが好きなのもオスの特徴か

・オスは『世界一』が大好き
・メス(女性)はそんなものは求めない
・世界一でなくても良いから、ほどほどの豊かさとほどほどの幸せが欲しいと考える
・メスが求めるのは‥‥調和、共生、共存、共栄、両立、棲み分け、持続などか

・競争がないと進歩しない‥‥はオスの論理
・地球上の生物は競争のない時に大きく進歩したことが分かっている

・オスが世界を牛耳る時代は終わった(オスの論理では持続し得ないから)
・これからは、メスの助けが必要
・オスが不要になったのではなく、オスとメスの調和(これもメスの論理だが)

・オスは本能的に一匹狼となりがち:自己を鍛え目的に向かって勇敢にチャレンジするのは得意
・メスは群で行動しがち:安全性や心地よさを重視し、寛容性・包容力などでお互いにケアし合うのが得意
・自己を高め、それをネットワークして助け合うのは、オスとメスの双方の強みを活かすことか


古い常識は通用しない


・価値観が大きく変わり時代が大転換つつある今、かつての常識は通用しない
・同様に、古い時代の前例、慣習、しきたり、美徳、経験、秩序、規則、権威なども見直しが必要
・逆に言うと、これらに闇雲にこだわる人や組織は新しい時代には使い物にならないということ


豊かに生き延びるためのパラダイム


・システムを変えるためには考え方を変えなくてはならない
・そこで『パラダイム・シフト』:パラダイムとは考え方のもと(規範という)のこと
・硬直化した古い考え方、古いシステム、古い人材では今の危機を乗り切ることができない
・危機を乗り切るために、新たな考え方・新たなシステム・新たな人材が必要
・新たなパラダイムのひとつの提案が『近自然学』:つまり『ニュー・パラダイム』


principles 

近自然学の原則


【リスク・マネージメント】

日本人にはリスク・マネージメント(リスク管理・危機管理)の思考法はないと言われる。カッコ悪く生き延びるより『潔く死ぬ』ことを美徳と考えがちだからだ。近年アメリカから導入されたビジネスにおけるリスク・マネージメントも間違いだらけ。

想定したリスクに対して対応マニュアルを作ることがリスク・マネージメントだと信じられているが、これは大きな誤解。マニュアルを作るのはリスク・マネージメントの初歩、ほんの一部でしかない。それを理解しないと、『想定外』という言い逃れが出る。それはリスク・マネージメントが存在しない、または誤解している証拠といえる。アメリカは新しい国で、まだ絶体絶命の危機を切り抜けた経験がない。日本が気安く付いて行って心中しないことを祈る。

ヨーロッパは多くの民族がひしめき合い、互いに切磋琢磨(侵略ともいう)し合ってきた。そんな中で消えていった民族や国家は数え切れない。今ある民族や国家はそんな熾烈な闘いを生き延びてきたわけだ。特に、資源もエネルギーもない小国のスイスは生き延びの天才といっても良い。リスク・マネージメントという概念が存在しないほど、日常的で当たり前なこと。

リスク・マネージメントとは、たとえて言えば『タイタニック号に救命ボートを積むこと』。

不沈船と言われたタイタニック号では救命ボートは余計なお荷物でしかない。少なくとも平時では。その余計なお荷物を積み、退船訓練を積むことがリスク・マネージメントだ。つまり、最悪の事態を考えて準備すること。救命ボートは使わないために積むとも言えるのだ。そして使わないで済んだことを喜ぶ。それができないで、「ほら見ろ、救命ボートなんかいらなかったじゃないか!」というのは、リスク・マネージメントの鉄則を理解できない証拠だ。

そんなリスク・マネージメントをまとめてみると…

・リスク・マネージメントとは『生き延びること』
・どうせ生き延びるなら、『豊かに幸せに生き延びたい』ではないか
・リスク・マネージメントとは、極言すれば、『何としても』生き延びること
・スマートでなくても良いから、毎回危機を切り抜けること
・一度でも失敗したらお終いなのだから

リスク・マネージメントの4大原則:
        *事前の心構えと周到な準備
        *危機の認識
        *迅速で適切な回避行動
        *対処より予防を優先

エコロジーに学ぶリスク・マネージメント:
・実際に35億年ほど生き延びてきた生き物たちから学ぶことは多い
        *持続を優先:1回の大成功よりほどほどで良いから持続的成功を
        *多様性:全滅のリスクを分散するのため
        *柔軟性:状況の変化や不測の事態に臨機応変にうまく対処できる
        *即応性:検証などは後で良い
        *物質循環:食物連鎖
        *自立 & ネットワーク

・上の反対が生き延びにくい
        *1発当てるのはダメ
        *ワンパターンはダメ
        *硬直化・排他的はダメ:未知の状況に対応できない
        *先延ばし・当座をしのぐのはダメ
        *使い捨てはダメ
        *依存 & 孤立はダメ

『環境配慮』は近自然学では豊かに生き延びるための『リスク・マネージメント』だ。つまり、生き延びるという目的の手段でしかない。手段が目的化するのはフォアキャストの典型(『フォアキャストからバックキャストへ』参照)。要注意だ。

本当のリスク・マネージメントの真価が問われるのは、考えられる最悪の事態に備えながら、それでも不測の事態が起こった時だ。「想定外」という言い訳はリスク・マネージメントにはあり得ない。

【ハシゴ段のつぎ足しはダメ】

今の混迷の時代を生き延びるためにはパラダイム・シフトが不可欠で、近自然学はニュー・パラダイムのひとつだと述べた。

ここで我々が犯しがちな間違いは、従来の考え方の「少しだけ改善」や「少しだけ何かを追加」を繰り返すこと。これを『ハシゴ段のつぎ足し』と言う。ハシゴ段のつぎ足しは、遠からず破綻する。だからダメ。
   
破綻しないためには、ハシゴ段をつぎ足すのではなく、新しいハシゴをかけること。つまり、いったん原点に戻って、ゼロから考え直すことだ。これがパラダイム・シフトという意味。今やっていることを全てご破算にする必要はない。考えの上で、原点に戻ってゼロから考え直してみること。その上で、使える物は使い、新たに必要なものは調達すれば良い。

【パーツ思考からシステム思考へ】

この世の中の全ての物はシステムだ。しかし、近代科学はそのシステムを構成要素であるパーツ(部品)に分けていくことにより発達した。いわゆる『アナライズ:分解、分析』だ。例えば、人間。人間はシステムだが、それは頭脳、神経、内蔵、手足‥‥などのパーツで構成されている。そしてそのパーツごとにそれを研究して熟知したスペシャリスト(専門家)が生まれた。

素晴らしいシステムは素晴らしいパーツを集めることにより実現できる。人間も同じはず。‥‥と考えたスイス人科学者が19世紀にいた。その名をフランケンシュタイン博士。優秀な死人のパーツを集めて縫い合わせると‥‥素晴らしい人間ができたのか?
     
‥‥モンスターしかできなかった。

素晴らしいパーツを集めただけでは素晴らしいシステムにはならないのだ。ましてや、システムの中のひとつのバーツのクォリティーを徹底的に上げてもシステム全体のクォリティーは上がらない。それは、システム全体のクォリティーはそれを構成するパーツの中で一番低いクォリティーのパーツで制限されるからだ。

というわけで、システムのクォリティーを上げるためにはシステム全体を見ることが絶対条件だ。これを『システム思考』という。システム思考ができるのが『ユニバーサリスト(万能家)』だ。

パーツを集めてもシステムにならない。同時に、パーツ思考の得意なスペシャリスト(専門家)を集めてもシステム思考できるわけではない。

【対立思考から両立思考へ】

競争の激しい現代の我々は日常生活において『対立思考』しがちだ。対立思考とは、この世の中の全ての物は対立しており、それらが競争することによって勝敗が決り、その淘汰によって新しい秩序が生まれて発展する‥‥というもの。

ダーウィンの進化論はこのような自然選択・自然淘汰を進化のベースにしている。ところが、生物の進化は競争や淘汰の激しい時期より、大絶滅期の後などほとんど競争のない時期に急激に起こったことが分かっている。人間の社会も、戦争のように競争や淘汰の激しい時期より、戦後の平和な時期の方が大きく発展することが歴史上わかっている。

対立思考は競争、勝敗、二者択一などを生む。勝った方には素晴らしい世界だが、負けた方には悲惨。これを進めていくと最後は、1国、1社、1人の勝者になる。そしてその1国、1社、1人の勝者は1人では生きていけずやはり滅びる。共喰い社会に未来はない。皆が豊かに幸せに生きていくためには両立思考しかないのだ。

対立思考の典型が二者択一。
『環境か豊かさか』『環境か経済か』『建設か保護か』『企業か個人か』などなど。
両立思考では…
『環境と豊かさ』『環境と経済』『建設と保護』『企業と個人』などなど。

『環境と豊かさの両立』とは…
我々が豊かになればなるほど環境も改善し、環境に配慮すれば我々はさらに豊かになること。
『環境と経済の両立』とは…
環境に配慮すれば経済が持続的に発展し、経済の持続的発展を実現すると環境に貢献すること。
『建設と保護の両立』とは…
建設することが自然保護に貢献するように考えること。
『企業と個人の両立』とは…
企業の利益と個人の利益は矛盾するのではなく、企業の利益は個人の利益になること。

今まで我々は、自らが豊かに幸せになるためには、他人に打ち勝たなければならない、他人を不幸にしなければならい…などと(無意識に)考えてはいなかったか? これは典型的な『オス(男性)』の論理だ。

【脱・石油】

戦後の日本の経済成長を支えたのが石油エネルギーであることは疑いの余地がない。

石油は便利なエネルギーだが、ほぼ100%輸入に頼っている。このまま石油に依存した状態を続けて良いのだろうか?

石油の問題は『環境負荷』と『いわゆる枯渇』の2点か(他にも色々あるのだが…)。
環境負荷のひとつが温暖化物質の排出。

石油1トンを燃やすと、なんと4.5トンの温暖化物質が出るのだ。

では枯渇はどうか…
石油は絶対に枯渇しない。それは、埋蔵量の多少に関わらず、残量が減ると価格が上がり消費量が落ちるからだ。

石油の問題は枯渇ではなく『ピークオイル』。
『ピークオイル』とは採掘技術から来る生産量のピークであり、それを過ぎると生産量が落ちる。

全世界の『ピークオイル』は、どうやら2006年頃であったらしい。『ピークオイル』の結果は『価格高騰』。増え続ける全世界の需要に生産が追い付かないからだ。

実際の原油価格の高騰は想像を絶しており、パニックにならないのが不思議なくらい。激しい上下を繰り返しているので幻惑されがちだが、2001〜3年のアフガニスタン=イラク戦争以後の急激な高騰は明確だ。2015年初頭から、原油価格は大暴落しているが、これが慢性化するとは思えない。

「石油がダメなら、天然ガスも原子力もあるではないか」と思われがちだが…

これらも有限資源である以上、ピークガス、ピークウランの宿命から逃れることができない。
いずれにしても、有限資源に依存していては、日本や人類の明るい未来はない。

我々の繁栄の持続のために無尽蔵の再生エネルギー(再生可能エネルギー)、特に『太陽エネルギー+地熱/潮汐』で我々の豊かさかを実現したい。ただし、太陽エネルギーとは光と熱だけではなく、水力、風力、バイオマス、間接熱(地表熱など)も含む。(太陽エネルギーについては『新しいエネルギー利用』で詳しく述べる)

太陽エネルギーの有効利用はリスク・マネージメント(安全保障)からも重要なことだ。

【負荷は集中、対策は分散】

我々は、単純に『負荷は悪、対策は善』と考え、負荷を減らし、対策を増やせば満足しがちだ。しかし、同じ量の負荷がいつも同じダメージ(破壊、汚染、循環阻害など)を環境に与えるわけではないし、同じ量の対策がいつも同じ貢献(再生、浄化、生物多様性など)を環境にもたらせるわけでもない。我々が欲しいのは環境への貢献であり、環境対策はそのための手段でしかない。反対に欲しくないのは環境へのダメージであり、環境負荷を減らすのはそのための手段だ。

我々の行為(負荷や対策)と環境への影響(ダメージや貢献)は直線の比例関係ではない。『S字カーブ(成長曲線、ロジスティック・カーブ)』を描く。これを上手く利用すると、同じ負荷量でも環境へのダメージを低く抑えることができ、反対に少ない対策で最大限の効果を上げることができる。

環境負荷がほんのわずかなら環境への悪影響はほとんど無視できる(『A』領域)。負荷をしだいに増やしていくと環境への悪影響は急激に増える(『B』領域)。この部分は少ない負荷で環境が受けるダメージが大きいので避けたい。ところが、さらに負荷を増やしていくと環境が受ける悪影響がそれほど増えなくなる(『C』領域)。

つまり、あちこちに環境負荷を分散するより、一カ所、一時期に集中した方が環境へのダメージは少なくなるという意味。さらに、環境汚染などを分散させると、その対策は至難で莫大な出費となる。だから『負荷は集中』が鉄則だ。
負荷分散の悪い例。世界中の人々がクルマを持って少しずつ排ガスを出し続けること‥‥これが最悪。皆が共同でバスや鉄道に乗るのが負荷集中で、その方が環境ダメージを小さくできる。

反対に環境対策は、ほんのわずかなら環境への貢献ははほとんどない(『A』領域)。ほんのわずかの環境対策はしてもしなくても同じこと。気休めに過ぎない。対策を増やしていくと環境への貢献は急激に増える(『B』領域)。この部分は少ない対策で環境への貢献が大きいので得策だ。ところが、さらに対策を増やしていくと環境への貢献がそれほど増えなくなる(『C』領域)。努力や出費の割に効果が上がらないのだ。

つまり、環境対策は一分野、一ヶ所、一時期に集中するより、ほどほどで良いからいろいろな対策をいつもあちこちに分散した方が、環境への貢献が大きくなるのだ。だから『対策は分散』が良い。
対策集中の悪い例。CO2対策だけを、世界でスイス一国が、ある時期だけ、徹底的にやる‥‥これでは地球環境への貢献は小さいか、ほとんどない。一番良いのは、世界中の皆ができることをできる範囲でやり続けること。


【貢献にはボーナス、負荷にはペナルティーを】

環境に貢献する物や行為を積極的にバックアップするのが『環境貢献プレミウム(ボーナス)』。反対に、環境に負荷をかける物や行為への心理的物理的制裁が『環境負荷ペナルティー』だ。

地球環境や自然そして美しいランドシャフトなどは地球上の生き物たちの共有財産だ。人類はもちろん、動植物たちの生活基盤でもある。その共有財産の価値を上げることに貢献すればボーナスを出し、反対にこれらを壊したり汚せば弁償責任が生じる。ボーナスは具体的には、報償金、補助金、免税、ラベリング、表彰などで、ペナルティーは、罰金、課税、警告、名前公表など。

環境に負荷をかける自由はないが環境に興味のない自由は認めたい。また、ペナルティーを払うなら、人生にとって重要な環境負荷行為もある程度認容できよう。もちろん、お金持ちなら何をしても良いというわけではないが、十分なペナルティーを徴収することにより他の人たちのバックアップになるのではないか。なにより、このシステムにより個人個人が自分の人生にとって『どうしても必要な物』と『なくてもかまわない物』を取捨選択する自由が生まれるという大きなメリットがある。


【『フォアキャスト』から『バックキャスト』へ】

・我々の行動には『フォアキャスト』と『バックキャスト』がある

『フォアキャスト』
・フォアキャストは、今何をするのが良いのかを考え実行する
・手法から入るので実行しやすいが、最終的にどこへ行くのか不明
・進む方向(ヴィジョン/ポーラスター:理想像)も登る山(ゴール:到達目標)も決めずに登山道(ルート/ロード:手段)を検討するようなもの
・エンジニアは手法の議論が好きで、到達目標がなくても気にならないようなので要注意
・フォアキャストでは手段が目的化しがち
・フォアキャストでは到達目標が不明確なので検証が至難


『バックキャスト』
・バックキャストは、何年後に何を実現するためには、今何をするのが良いのかを考え実行する
・まず進むべき方向(ヴィジョン/ポーラスター:理想像)をイメージし、登る山(ゴール:到達目標)を決め、その後に登山道(ルート/ロード:手段)を検討する
・遠回りのようだが、確実に前進できるので、最終的には速くて確実に成功しやすい
・バックキャストでは到達目標が明確なので検証と修正は容易


【気持良いランドシャフトは生き延びやすい】

・ランドシャフトとは日本では景観と訳されたドイツ語
・英語のランドスケープが都市景観に軸足を置くのに対して、ランドシャフトは自然をも含む広い意味
・見た目だけのものではなく、音も匂いも味も肌触りも、そして心の動きも含む
・つまり『五感プラス心』
・良いランドシャフトとは『気持良いこと』
・気持良い状態は生き延びやすい:生き延びやすい状態を我々は気持良く感じる
・なぜなら、五感は危険センサーとして発達したから
・五感(危険センサー)に違和感がないのが気持良い状態
・我々が無意識に安全、健康、食べ物が豊富、子孫が繁栄する‥‥と察知している
・豊かに生き延びるために五感(危険センサー)をもっと活用したい
・そのためには豊かな感性と鋭い洞察力を養う必要がある
・周囲を見直し、気持良くないノイズ(騒音、騒観、悪臭、不味い、肌触りが悪い)を減らそう
・駅や社内放送の無意味なアナウンスはノイズ(騒音)以外の何物でもない
・街中や道路周辺の看板やネオンサインの氾濫はノイズ(騒観)以外の何物でもない
    
・運転に不要な物を消去するとどれほどスッキリして気持良く、しかも安全性が上がることか
・スイス・ドイツではドライバーの視線を奪う物は全て禁止(もちろん看板も禁止)

・例えば、次の組写真では左右どちらが気持良く感じるだろうか?







・例外なく誰もが右の写真を気持良いと言う
・そしてそれは、文化、生い立ち、年齢、職業、性別などを問わない
・「こんな対比なら明確ではないか」と言う人がいるかもしれない
・そう、明確なのだ‥‥しかし、なぜ明確なのだろう?
・どうやら、我々の遺伝子内には共通の情報と判断基準があるようだ

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『近自然学の応用』へつづく





文責:山脇正俊
『近自然学・ 近自然工学』研究・啓発
スイス近自然学研究所代表 
北海道科学大学客員教授:2017年終了
SADO専門学校 ユニバーサルアドバイザー:2017年終了 
スイス連邦工科大学・州立総合大学講師:武道:2021年終了
環境・オーディオ  コンサルティング 

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