Naturnaher Wasser-, Strassen- und Städtebau
Kinshizen river, road and urban planning/construction



『スイス近自然学研究所』から見た、日欧の近自然川づくり・近自然道づくりなどの発展の歴史を記す。
1970年代にスイス・チューリッヒ州とドイツ・バイエルン州で始まった『近自然川づくり(近自然河川工法)』は、1980年代中ごろに日本へ伝わり、1990年 建設省河川局『多自然型川づくり(2007年より多自然川づくり)』全国通達以後、大きな広がりを見せている。スイス・ドイツと日本の国土交通省 水管理・国土保全局(かつての建設省河川局)とはいまだに交流があり、近自然/多自然の仲間から、関克己氏(2011年)、足立敏之氏(2012年)、池内幸司氏(2014年)、金尾健司氏(2015年)の4名の局長が出ている。


黒:日本
青:スイス・ドイツ

1970年代
スイス・チューリッヒ州建設局でクリスティアン・ゲルディー(Christian Göldi)氏が、ドイツ・バイエルン州水利局ではヴァルター・ビンダー(Walter Binder)、ペーター・ユルギング(Dr. Peter Jürging)、カール・ライトバウアー(Karl Reitbauer)氏などが、ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルグ州ボーデン湖湖沼研究所ではベルトルド・シースエッカー博士(Dr. Berthold Sießecker)などが独自に試行錯誤を始める。その他、オーストリアのウィーンなど各国各地で様々な試みがなされた。

1970年
カール・ライトバウアー氏、ミュンヘン工科大学卒業と同時にバイエルン州ヴァイルハイム水利局に入局。以後、高級技術官吏として独自に『近自然川づくり』を進める。

1974年
ヴァルター・ビンダー氏、ミュンヘン工科大学卒業後にバイエルン州水利局(日本の独立法人 土木研究所に相当)に入局。以後、『近自然川づくり』の発展と普及に努める。

1975年
クリスティアン・ゲルディー氏、チューリッヒ州 建設局 水域保護河川建設部にてキャリアを始める。彼は、スイス連邦立チューリッヒ工科大学卒業後、海外でダム建設に従事していた。
ベルトルド・シースエッカー博士、ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルグ州ボーデン湖湖沼研究所に入所し、以後、独自の理論により湖岸の近自然化に精力的に取り組む。

1979年
クリスティアン・ゲルディー氏、チューリッヒ州 建設局水域保護河川建設部 河川維持管理課 課長に昇進。以後、新しい川づくり『近自然川づくり』を精力的に推し進める。

1980年
『近自然川づくり』が本格的に動き出す。
1980年、『ゲルディーの小川』と呼ばれている先駆的試みがチューリッヒ州で竣工。
新アウトバーン建設にともなう洪水の危険性を低減するため、『ビュシゼー遊水地』施工。これ以後、遊水地により大きな河川改修を避ける手法が一般化。ビュシゼー遊水地は数年後に自然保護区に指定された。
アルント・ボック(Arndt Bock)氏、シュトゥットガルト工科大学卒業後、バイエルン州アンスバッハ水利局を皮切りに、『近自然川づくり』の分野でのキャリアを開始する(1996年よりアンスバッハ水利局局長)。

1983年
1983年、市民や議会やマスコミに大きな説得力を発揮したチューリッヒ州ネフバッハ川竣工。
その後、チューリッヒ州では次々と事例を増やしていった。
アントン・グリュナウアー(Anton Grünauer)氏(1972年バイエルン州『河川マイスター』称号取得)、ヴァイルハイム水利局ガルミッシュ-パルテンキルヒェン管内オーバーアウ河川マイスター事務所長に就任。以後、担当エンジニアのライトバウアー氏とコンビで近自然の素晴らしい事例を次々と実現して行く。

1985年
チューリッヒ市で市街地にせせらぎを復活させる『バッハコンセプト(小川開放計画)』の第一事例が竣工。生みの親は、 チューリッヒ市 土木廃棄物庁 ゴミ処理・リサイクリング局 下水道部長 フリッツ・コンラディン(Fritz Conradin)氏。氏はスイス下水道・水域保護専門家協会(VSA)会長を2000年(以後名誉会長)まで務める。
バッハコンセプトがチューリッヒ市議会で承認されたのは1988年。
ライン河唯一でヨーロッパ最大の『ライン瀑布』にある大小の岩塊が、倒壊を防ぐために近自然工法により浸食止めされた。この行為は自然の変転に逆らう行為なので、『ランドシャフト保護』という概念に一石を投じた。つまり、『近自然』は『自然』とは異なるのだ。

1986年
高知県の福留脩文(ふくとめ しゅうぶん、西日本科学技術研究所代表)氏らがスイス・チューリッヒ州建設局 クラウス・ハーグマン(Klaus Hagmann、1993年国際フォーラム参加のため来日)空間計画部副部長を訪問し情報収集。
愛媛県の亀岡徹(かめおか あきら、五十崎町シンポの会代表)氏が会のメンバーらとスイス・チューリッヒ州を来訪し『近自然川づくり』の事例を視察。これが日本からの近自然視察の始まり。
『近自然川づくり』『近自然河川工法』という新しい日本語名称を作る。ごく初期には、「自然な川づくり」とか「自然に配慮した河川改修法」などと表現していたが、新しい概念には新しい名称が不可欠だ。
『日欧近自然河川工法研究会』結成。(2005年以降、自然消滅)
スイス、ドイツ、オーストリア、リヒテンシュタイン、日本おける、河川建設、下水道、交通計画、道路建設、都市計画、プランニング、生態学、自然保護、ランドシャフト保護、野鳥保護、NGO/NPO、他の分野における官学産民の主要なオピニオン・リーダーを集めた私的団体で、地球環境を修復するというテーマのもとに様々な分野の専門家が集まった。
日本側事務局は福留脩文氏が引き受ける。
スイス連邦においてUVP(環境調和テスト、環境アセスメント)法が施行。
チューリッヒ州より『近自然川づくり』指針が出された。この中で、プロジェクトの実施法(土木・ランドシャフト/景観・生態の3名が必要…)や材料の選択基準(ソフト材を最優先…)などが規定され、これが近自然プロジェクトのひとつの規範になった。
スイス・ドイツ・日本などの有志が集まり『日欧近自然河川工法研究会』結成。
リーダー格はクリスティアン・ゲルディー氏が、欧州側事務局は筆者(山脇正俊)が引き受ける。
『スイス・ドイツ近自然川づくり研究会』では毎年、最低春秋の2回、近自然のワークショップ、セミナー、シンポジウムなどを定期的に開き、活発な活動を続けている。(2005年以降、日本との連携解消し、欧州独自の活動中)

1987年
クリスティアン・ゲルディー氏、英国コンザベイションン・ファウンディング・オブ・ロンドンの自然保護・景観保護賞を受賞。

1988年
スイスで『近自然川づくり』を創始した、クリスティアン・ゲルディー氏が初めて日本を訪れ、愛媛県五十崎町など4ヶ所で講演。
この時の講演録『近自然河川工法』が福留脩文氏との共著で出版され、これが日本における『近自然川づくり』に関する初めての本となる。
『近自然川づくり』の日本への紹介を始める。
高知県の福留脩文(西日本科学技術研究所代表)、愛媛県の亀岡徹(五十崎町シンポの会代表)両氏を中心として、日欧が協力して行う。

1989年
故関正和氏(「天空の川」「大地の川」という2冊の本を著し日本の河川行政に大きな影響を与えたが1995年逝去)が、新たな川づくりを模索し、2週間にわたってチューリッヒ州とバイエルン州の『近自然川づくり』を視察。

1990年
故関正和氏(当時建設省河川局治水課専門官)らの努力により、建設省河川局から「多自然型川づくり」の全国通達が出される。
当時の河川局長は近藤徹氏(元建設省次官、元水資源開発公団総裁)、関東地方建設局河川部長は松田芳夫氏(元河川局長、元リバーフロント環境整備センター理事長)で、関氏を強力にバックアップしていた。
この年が日本の河川行政にとって大きなターニングポイントとなったと言えよう。
ドイツ連邦においてUVP(環境調和テスト、環境アセスメント)法が施行。
スイス全土で交差点を信号機制御からロータリー制御へ改造開始。
スイス・チューリッヒ州において、より広範な『近自然道づくり』の試みが始まる。

1991年
建設省などの後援を得て、『近自然川づくり』の紹介・啓発を目的とした国際シンポジウムを、高知県福留氏・愛媛県亀岡氏・チューリッヒ州ゲルディー氏・バイエルン州ビンダー氏が中心となって1991~1994年までシリーズで開く。北海道から沖縄県まで、全15ステージ、日本側の参加者は延べ1000名を、欧州側は延べ20名を越えた。
日本における『近自然川づくり』の先駆的事例である北海道札幌市内の真駒内川(1991年)、同市内の精進川(1994年)、愛知県豊田市内の矢作川(1993年)などが相次いで竣工。
この後、建設省の前向きな姿勢もあり、1997年(平成9年)度末までで、日本全国で延べ1,185kmにのぼる施工実績が確認されている。
スイス連邦において、『新河川法(水域保護法)』施行。環境・生態系・水質・レストウォーター(維持流量)・ランドシャフト(景観・景域・景相・風景・風土・光景・情景・心象風景などと訳される)など、水域に関する広範な概念が取り入れられた。
『洪水対策は、守るべき対象物の価値に見合ってなされるべき』という条項により、人命・財産の集中地帯と道路や農地とを一律に守ることは連邦法違反となった。これより、価値によって差別化する洪水対策が一般的となる。これにより、確実に安価に価値の高い人命財産を守ることができる。

1992年
ドイツ・バイエルン州ガルミッシュ=パルテンキルヒェン市内『ロイサッハ川』の再改修竣工。
洪水安全性向上を目的とした再改修だが、『近自然川づくり』により最も美しい人工河川の一つとされる。
クリスティアン・ゲルディー氏、リヒテンシュタイン公国ビンディング賞を受賞。

1994年
チューリッヒ州『トゥール川』において越流堤建設。
農地の冠水確率を20 年と意識的に低めに設定した初めての事例。この法的根拠は1991年の連邦水域保護法による。

1995年
チューリッヒ州内で新しいアウトバーン建設プロジェクトが実現し、1986年成立のUVP(環境調和テスト、環境アセスメント)法に則って、旧道撤去を含む大規模なミティゲーション(環境破壊緩和)措置が実施された。
日欧の近自然工法エキスパート約100名がスイス・チューリッヒ州、ドイツ・バイエルン州に集結し、国際シンポジウムを開く。

1997年
日本において『新河川法』が施行。洪水安全性ばかりではなく環境や住民にも考慮した革新的なものだ。
多くの研究者や技術官吏の長年の努力が実ったわけだが、当時の河川局長尾田榮章氏の実行力に負うところも大きい。

1998年
『近自然川づくり』で現在最も先進的と言われる、「平堤(引き堤の一種)」「倒木護岸」がスイス・チューリッヒ州『トゥール川』で施工。

1999年
日本において『環境アセスメント法』が施行。
『近自然道づくり』の成功が確認され、生命や環境に配慮した新しい体系としてまとまる。

2000年
2000年4月の『川づくりワークショップ』、10月の『国際近自然川づくりシンポジウム』がいずれもチューリッヒで開かれた。国際シンポジウムは10月5日と6日の2日間、講演と現場視察を行った。スイス、ドイツ、オーストリア、デンマーク、日本などから450名が参加。

2003年
チューリッヒ市『バッハコンセプト(小川開放計画)』の生みの親、チューリッヒ市 土木廃棄物庁 ゴミ処理・リサイクリング局 下水道部長 フリッツ・コンラディン氏、早期退職。

2002年
日本において『自然再生事業』の創設。公共事業においても自然再生がテーマとなる時代になった。と同時に、川づくりにおいては、より広範囲な地域、川のシステム(物質、流量など)も視野に置く。

2004年
『川づくりの鉄人』の異名を取るバイエルン州高級技術官吏 カール・ライトバウアーと長年の相棒であるバイエルン州河川マイスターでオーバーアウ工事事務所長アントン・グリュナウアー両氏、㈶リバーフロント整備センターの招聘で来日し、全国各地9カ所でセミナーや講演会を開く。

2005年
1970年代にチューリッヒ州において『近自然川づくり』を創始し浸透させた、前チューリッヒ州建設局 廃棄物・水・エネルギー・大気部 河川建設課課長 クリスティアン・ゲルディー氏、早期退職。退職後も国連委員会の委員などを務め、ヨーロッパをはじめ、韓国、日本など世界を股にかけて活躍中。

2006年
『多自然型川づくり』から『多自然川づくり』へ名称変更。生物偏重から川という複雑なシステムが持つ機能や周辺の歴史文化との調和、さらには風景などへも配慮する広い視野を求めるようになった。これでスイス・ドイツの『近自然』と日本の『多自然』は再び同じ物になったと言えよう。『型』が取れた意義は大きい。

2008年
1970年入局依頼、精力的に素晴らしい近自然の川を造り続けてきたカール・ライトバウアー氏、早期退職。退職後もヴァイルハイム水利局長の要請で近自然河川工法のアドバイスを続けている。
1970年代にバイエルン州においてガヴァメント・アドバイザーとして『近自然川づくり』を創始し浸透させた、バイエルン州水利局 ヴァルター・ビンダー氏、定年退職。退職後もEU(ヨーロッパ連合)の近自然川づくりアドバイザーとして活躍中。
9月、ゲルディ氏、ビンダー氏、ライトバウアー氏等が本格的に参加する最後の近自然セミナーが、日本やカナダから30名近い参加者を得て行われた。


2009年
『川づくりの鉄人』こと前バイエルン州高級技術官吏 カール・ライトバウアー氏、㈶リバーフロント整備センターなどの招聘で来日し、東京での『いい川シンポジウム』をはじめ、全国各地で5カ所でセミナーや講演会を計11回開く。
前回の2004年の来日セミナーが大好評で再来日が切望されていた。ここ5年間の日本の川づくりの進歩は著しく、今回のライトバウアー氏の話しは夢物語ではなく現実論として参加者に強い印象を与えた。
1970年代から『近自然まちづくり』の分野で大きな業績を残した、チューリッヒ市 建築局長 フランツ・エバーハルト(Franz Eberhald)氏、定年退職。氏は1997年サンクト・ガレン市の建築局長からヘッド・ハンティングされてチューリッヒ市へ来た。退職後はフリーのアドバイザーとして、中国などを中心に活動のフィールドを広げている。

2010年
近自然の広がりは近年目覚ましいものがあるが、森林管理、林業経営にまで及んだ。
2010年10月〜11月にかけて、スイス・チューリッヒ州において新しい森林管理のムーブメントを起して『グリーン・フォレスター』と呼ばれる、ロルフ・シュトリッカー(Rolf Stricker)氏の日本招聘が実現した。日本国内4ヶ所(奈良県、宮崎県、鹿児島県、岩手県)でセミナー&ワークショップを行い、大変好評だった。

2011年
1月、関克己氏が国土交通省河川局局長に就任。日本の『多自然川づくり』を先導する国土交通省河川局の仲間たちと密接な関係を維持しているが、その中のリーダー格が関克己氏だ。
9月、森林管理と林業経営の両立を目指す『近自然森づくり研究会』発足
『グリーン・フォレスター』ロルフ・シュトリッカー(Rolf Stricker)氏の2度目の日本ツアーが実現した。ロルフ・シュトリッカー氏の訪日は、この後、毎年続くことになる。

2012年
9月、足立敏之氏、国土交通省水管理・国土保全局長(かつての河川局長)に就任。

2013年
8月、足立敏之氏、国土交通省技監に就任。
12月、日本に『近自然川づくり』を紹介し広めた功労者のひとりである福留脩文氏、逝去(70歳)。日本の近自然川づくりにとっての巨星が落ちたよう。

2014年
2月、池内幸司氏、国土交通省水管理・国土保全局長に就任。
5月、サンクト・ガレン市とチューリッヒ市の建築局長を歴任し、訪日もしたフランツ・エバーハルト(Franz Eberhard)氏、逝去(69歳)。『近自然まちづくり』の先駆的オピニオンリーダーだった。

2015年
7月、池内幸司氏、国土交通省技監に就任。
7月、金尾健司氏、国土交通省水管理・国土保全局長に就任。
1月、ドイツ・バイエルン州アンスバッハ水利局長 アルント・ボック氏、定年退職。これでスイス・ドイツの「近自然川づくり」の第一世代のオピニオンリーダーが全てリタイア。
12月、日本での近自然川づくりセミナー&ワークショップにも参加した、スイス・チューリッヒ州のハインツ=ヴィリー・ヴァイス氏、逝去(72歳)。リタイア後の晩年はダジキスタンへのスイスの援助の一環として河川改修に尽力。

2016年
3月、池内幸司氏、東京大学大学院光学系研究科教授に就任。
7月、足立敏之氏、参議院議員に当選。
2月、元ベルン州フォレスター ヴァルター・マルティ氏、奈良県の招聘で訪日。日本で「近自然森づくり」を推進するために、行政のバックアップと作業員・フォレスター教育の重要性を強調。

2017年
10月、『リース・フォレスター養成校(正式には、森林・林業トレーニングセンター・リース)』校長アラン・コッハー(Alan Kocher)氏の日本招聘が実現。奈良県が新しい時代の林業技能者を養成する『奈良フォレストリー・アカデミー』を設立する計画で、その範をスイスの近自然森づくり/近自然林業とリース校にとったため。




文責:山脇正俊
『近自然(工)学(環境と豊かさの両立原則)』提唱・研究
スイス近自然学研究所代表 
北海道科学大学客員教授:2017年終了
スイス連邦工科大学・チューリッヒ州立総合大学講師:武道
『近自然森づくり研究会』特別顧問
環境・オーディオ  コンサルティング 

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◆近自然川づくり(近自然河川工法)により、いわゆる『春の小川』が人工的にしかも 比較的安く実現可能だ。人工的なものではあるが、時間の経過とともに自然の小川と区別がつかなくなるのが、近自然では成功を意味する。

河床下に見えないように設置されたアーチ状フィックス・ポイント(床止め工)により、洪水安全性はしっかり確保されている。現場にある材料を再利用し、造形を水の流れや植生の成長に任せると、ほとんどコストがかからない。これが、太陽エネルギーによる川づくりであり、きれいなばかりではなく安全で環境負荷を最小限に抑えることができるのだ。

(ネフバッハ川、スイス・チューリッヒ州、1983年施工)

日欧 近自然の歴史(加筆中)